大判例

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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)4116号 判決

原告

三森敬善

外三名

原告ら訴訟代理人

斉藤義雄

外八名

被告

三井傷建設株式会社

右代表者

稲垣登

右訴訟代理人

河村貞二

主文

一  被告は原告三森敬善に対し、金六三三万三一八三円、原告三森松子に対し、金五〇万円、原告三森智恵子・同三森浩一に対し、各金一〇万円および右各金員に対する昭和四七年五月二五日から完済まで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の各請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告は原告三森敬善に対し、金八七一六万三〇〇〇円、同三森松子に対し、金五〇〇万円、同三森智恵子・同三森浩一に対し、各金三〇〇万円および右各金員に対する昭和四七年五月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二、被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  (当事者)

原告三森敬善(以下「原告敬善」という。)は、被告会社の従業員で後記本件事故発生当時は、千葉県流山市所在の被告会社柏工場において、整備係の技術者(メカニック)として、被告会社の業務に従事していた者であり、原告松子・同智恵子・同浩一は、それぞれ原告敬善の妻・長女・長男である。

被告会社は、土木建設業を営む株式会社である。

2  (本件事故の発生)

原告敬喜善は、昭和四三年七月九日午後一時二〇分ころ前述の被告会社柏工場(以下「本件現場」という。)において、日立F65型トラック・クレーン(以下「本件クレーン」という。)のベース・ブームの中に入つて、中間ブームの取付ピンを抜き取つたところ、突然、ベース・ブームが落下してその下敷になり、第一腰椎圧迫骨折・脊髄損傷・下半身麻痺・両下肢知覚運動神経麻痺・膀胱直腸障害・水賢症・尿管皮膚瘻・右肋骨(三本)骨折等の傷害を受けた。

3  (本件事故の原因)

(一) 本件事故は、被告の被用者である田中茂雄・同秋山吉彦(以下「田中」および「秋山」という。)両名の過失に基づくものである。

すなわち、本件事故発生前、本件事故現場において田中および秋山の両名は、本件クレーンの出庫準備作業に、原告敬善は、田中および秋山の作業場所より約一〇メートル離れた所の従業員らと共にブルドーザーの整備作業にそれぞれ従事していたところ、同日午後一時過ぎころ、本件クレーンの中間ブームの取りはずしに取りかかつていた秋山が原告敬善に対し、「中間ブームの取付ピンが抜けないので、抜いてもらいたい。」旨頼んだ。

そこで、原告敬善が、右取付ピンの状態を見たところ、すでに割りピンが抜き取られたうえ、左右の取付ピンもそれぞれ三分の一ほど抜きかけた状態になつていたので、同原告は、本件クレーンのベース・ブームの中に入つて、クレーンの運転席にいた田中に合図を送つてから、まずトラック本体より、クレーンの先端に向つて右側の取付ピンを抜き取り、次いで、体の向きを変えて、また田中に合図を送りながら左側の取付ピンを抜き取つたところ、突然本件クレーンのベースブームが落下したのであるが、本来、本件クレーンの中間ブームを取りはずすには、当然、中間ブームの取付ピンを抜き取つてもベース・ブームが落下しないように、ペンタントシーブをベース・ブームのペンタントシーブ取付金具に取付け、ベース・ブームを保持する措置を取つてから中間ブームの取付ピンを抜き取るのが当然の手順である(別紙添付図面参照)にもかかわらず、田中および秋山は、右手順を怠つて、ペンダントシーブをベース・ブームに取付けないままで、中間ブームの取付ピンの抜取り作業を開始し、かつ、右措置をとつていないことを原告敬善に告げずに、その抜取りを同原告にさせた過失により、前述のように本件事故が発生したものである。

(二) また、本件事故の原因は、前記(一)のほかに、被告会社は、同社の従業員に対する安全配慮義務があるにもかかわらず、それを怠つて、前記のように、本件クレーンのブームの脱着作業の手順さえもわきまえない田中および秋山を右クレーンの出庫準備作業に従事せしめた過失により発生したものである。

4  (被告会社の責任)

本件事故は、右3の(一)に記したように、被告の被用者である田中および秋山が、被告の事業の執行につき発生せしめたのであるから、被告は民法第七一五条によつて本件事故により損害を被つた者に対し、その損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

さらに、被告自身右3の(二)に記したように、従業員に対する安全配慮義務を怠つた過失により右損害を発生せしめたのであるから、被告は、同法第七〇九条によつて、本件事故により損害を被つた者に対し、その損害を賠償する義務があるものといわなければならない。〈以下、省略〉

理由

一原告敬善が本件事故発生当時被告会社の従業員であつたこと、そのころ同原告が本件現場において被告会社の業務に従事していたこと、原告松子・同智恵子・同浩一がそれぞれその妻・長女・長男であること、被告会社が土木建設業を営む株式会社であること、原告敬善が、昭和四三年七月九日午後一時二〇分ころ、本件現場において本件クレーンのベース・ブームの中に入つて、中間ブームの取付ピンを抜き取つたところ、右ベース・ブームが落下して同原告がその下敷きになり、第一腰椎圧迫骨折・脊髄損傷・両下肢知覚運動神経麻痺・膀胱障害・尿管皮膚瘻・右肋骨(三本)骨折の傷害を受けたことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、原告敬善は右の傷害のほかに、下半身麻痺・直腸障害・水腎症の傷害も受けたことが認められる。

二しかして、本件事故発生当時、田中および秋山が被告会社の従業員であり、かつ、同人らがそのころ本件クレーンの中間ブームの取りはずし作業に従事していたことは当事者間に争いがないところ、原告らは、「本件事故の原因は、本件事故発生当時、本件クレーンの中間ブームの取りはずし作業の一環として、中間ブームの抜取りに従事していた田中および秋山が、本来なら右取付ピンを抜取つても、ベース・ブームが落下しないように、ペンダントシーブをベース・ブームのペンダントシーブ取付金具に取付けてから、右取付ピンの抜き取りをなすべきであるにもかかわらず、同人らは、右の安全措置を構ぜず、かつ、この措置をとつていないことを原告敬善に告げないで、同原告に右取付ピンの抜取りを頼み、その抜き取りをなさしめた過失により、本件事故が発生した。」旨主張するが、その主張にかかる事実は、原告敬善本人の供述以外にはこれを認めるにたる証拠はないうえ、右供述も後掲証拠およびこれによつて認められる事実に照し、たやすく措信することができない。

すなわち、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、同人らは本件事故発生当日の午前中、本件クレーンを出庫すべく、同クレーンを本件現場の第二工場前に停めて点検等を行ない、一旦昼休みに入つた後、午後一時の作業開始と同時に、本件クレーンの中間ブームの取りはずしにかかつたこと、右取りはずしに当つては、原告ら主張の如く、中間ブームの取付ピンを抜き取つてもベース・ブームが落下しないようにペンダントシーブをベース・ブームのペンダントシーブ取付金具に取付けて、ベース・ブームを保持する措置を取つてから、中間ブームの取付ピンを抜取る方法もあるが、レッカー車を利用して、それで、ベース・ブームを吊り上げれば、右のような安全措置を構じなくとも、充分安全に作業を進めることが出来るし、また、取りはずした中間ブームを片附けるには、レッカー車を利用した方が簡便であり、さらには、カウンター・ウエイトを取りはずすにも、レッカー車が必要であること、これらのことから、田中および秋山は右中間ブームの取りはずしには、レッカー車を利用することをかねて打合せてあつたこと、そのために、同人らはあえて原告らが主張するように、ペンダントシーブをベース・ブームのペンダントシーブ取付金具に取付けずに、レッカー車を利用する前提で、右側の取付ピンを抜き取つたうえ、左側の取付ピンも三分の一ほど抜いてレッカー車が来るのを待つていたこと、しかるに、同人らが知らぬ間に、原告敬善が本件クレーンのベース・ブームの中に入つて来て、前記左側の取付ピンをハンマーで叩いて抜き取つたために、突然、ベース・ブームが落下し、同人がその下敷となつて本件事故が発生したこと、をそれぞれ認定することができる。

ところで、右認定事実に立脚して考察すれば、原告敬善が、頼まれもしないのに、何故分担の異なるしかも危険なる他人の仕事に介入して来たのか、その心理ないし動機は、まことに不可解の一語に尽るというほかはない。

したがつて、同人の行動を合理化し、かつ首肯しうるものにするためには、原告らの主張するように、同原告が依頼を受けて右の行為に及んだものと解すべきではないかとの疑問の余地も存しないわけではない。しかしながら、前記証人秋山は、本件事故の数カ月後に被告会社をやめて、昭和四九年二月九日には愛媛県の神宮ダム建設工事に従事していたのであるが、同人が、同日同所に事情聴取に赴いた原告代理人の藤原寛治弁護士に対して述べたことと、同人の当法廷における証言に何ら矛盾撞着がなく、さらに、同人の証言と証人田中の証言がほぼ一致し、かつ同人らの証言に何ら偽証を窺わしめる特段の事情も見当らないこと、他方、原告敬善本人の供述中には、同人が、本件事故発生直前、本件クレーンのブームの先端に行つて、ブームの先端と運転台とを二、三回視線を往復させたというのに、その間ペンダントロープを一度も見なかつたという供述があるが、これは当裁判所の検証の結果に照し、きわめて不自然であること、さらに、本件クレーンのあつたという位置についての同原告の供述内容が二転・三転していること、〈証拠〉によれば、原告敬善と田中および秋山とは面識がなく、したがつて、同人らは原告敬善の技量等についても全然了知するところはなかつたと充分推定されることよりして、多少技量を要すると思われる右取付ピンの抜き取りを原告敬善に依頼する必然性が全くないこと、加えて、原告敬善本人の供述によれば、同原告は、本件クレーンの停めてあつた位置から約一〇メートル離れた所で、他の従業員と共に、ブルドーザーの解体作業に従事していたところ本件クレーンのあつた位置附近にいた秋山が同原告に右取付ピンの技取りを依頼したということになるのであるが、弁論の全趣旨によれば、原告敬善と共に作業をしていた他の従業員が右依頼したことに気付いた形跡がないこと、その他諸般の状況に鑑みれば、結局前記判断に関する原告敬善本人の供述は措信できず、証人田中・同秋山の各証言を信用せざるを得ないというべきである。

三ところで、〈証拠〉によれば、前記のように、何ら安全措置を構ずることなく、本件クレーンの中間ブームの右側の取付ピンを完全に抜き取り、かつ左側の取付ピンも約三分の一抜いた状態で、本件クレーンを放置しておけば、本件における原告敬善のような行動に及ぶ者が全然ないとはいえないことが認められる。

右認定に反する証人田中・同秋山・同中島清の各証言部分は、彼らの独自の意見にすぎず採用することができない。そうだとすれば、右のような状態で本件クレーンを漫然と放置しておくことは、それ自体客観的に危険だといわなければならないから、かかる状態を作出した田中および秋山は、本件クレーンを一時的であれその状態にしておく限り、人が本件クレーンのブームの下に入らないように常時監視する注意義務があるものといわざるを得ない。

しかるところ、田中および秋山が、前記のように原告敬善が本件ブームの中に入つたことに全く気がつかなかつたのであるが、このこと自体すでにその義務たる監視を怠つた過失があつたと解せられる。

さらに進んで、〈証拠〉を総合すれば、原告敬善が本件ブームの中に入つたころ、田中は本件クレーンの運転台に、秋山は本件クレーンの中間ブーム附近にいたこと、本件クレーンの中間ブームの左右の取付ピンのうち、一方を抜いてしまえば、他方に荷重がかかるために、ピンが抜けにくくなり、通常少なくとも数回叩かないと抜けないこと、ピンをハンマーで叩けば、本件クレーンのエンジンをかけていても、その音が右秋山が立つていた地点には勿論のこと、本件クレーンの運転台にまで充分聞えること、以上の事実を認定することができる。右認定に反する証人田中および秋山の各証言部分は到底措信できない。

右認定事実によれば、原告敬善が左の取付ピンを抜き取るまでには、少なくともそれをハンマーで数回叩いたであろうこと、したがつて、田中および秋山は、原告敬善が右取付ピンをハンマーで叩きはじめたころ、同人の行動に気付いたであろうことは容易に推測できるから、その時点で、田中および秋山は、原告敬善の行動を制止すべき義務があつたことはもはや理の当然であつて、多言を要しないというべきであり、しかるに、田中および秋山は右制止義務を怠つたことは明らかであり、したがつて、同人らに原告敬善の右行動を制止しなかつた過失があると解せられる。

そして、田中および秋山が前記の監視および制止義務をつくしていたならば、本件事故が発生しなかつたろうから、同人らの以上の過失によつて本件事故が発生したものと解すべきである。

四ところで、田中および秋山が、本件事故発生当時被告会社の被用者であつたことは当事者間に争いがなく、かつ本件事故は、前記認定のとおり同人らが被告会社の業務の執行中の過失に基づいて発生せしめたのであるから、被告はこれにより原告らの被つた損害を賠償する義務があると認めるべきである。

五次に、被告は、仮に本件事故について、被告に民法第七一五条本文に基づく責任があるとしても、被告は、従業員の選任およびその業務の監督ならびに、本件クレーンの出庫準備作業について相当の注意をなしたから、被告に損害賠償責任はない旨の主張するので判断するに、〈証拠〉をもつてしても、右事実を認めるには充分でなく、他に右事実を認めるにたる証拠はない。よつて、被告の右主張は採用しない。

六さらに、被告の時効の抗弁について考えるに、本訴が提起されたのは、本件事故発生から三年経過後であることは本件記録から明らかである。

しかし他方、〈証拠〉によれば、原告敬善の受傷後、原告らは療養の結果、やがて身体が回復し、再び被告会社の労務に従事することが可能であると考えていたこと、被告会社側も、原告敬善に対し、「将来とも面倒をみてやるから心配するな。会社に戻れるようになつたら、出来る仕事を与えてあげるから心配しないで療養をするように。」なる旨を述べていたこと、昭和四六年夏ころには、医師も半年位で会社に復帰することが可能であるとの見通しを持つていたこと、同四六年七月、本件事故発生から三年経過の際にも被告会社に復帰することが可能であるという条件のもとに半年間継続雇用を延長して貰つていたところ、同年一一月再び発熱し、被告会社に復帰することが不可能と見られるに至つて、被告会社の態度も一変し、同原告を解雇する態度に出るようになつたこと、をそれぞれ認定することができる。

してみると、原告らとしては、原告敬善が解雇されるまでは、同原告が療養の結果、再び被告会社に復帰することが可能であり、今後とも被告会社の同情と理解ある態度を期待し、被告会社と協調して雇用関係を継続し、その生計を維持して行くことの前提のもとに行動して来ており、解雇されるまでは本件訴訟で請求しているような本件事故による損害(因みに、本件訴訟において原告らの請求している損害は、(1)原告敬善が解雇されてから退職時までの間の得べかりし利益、(2)得べかりし退職金、(3)被告会社退職後の得べかりし利益、(4)将来退院後の附添費用、(5)原告敬善の慰藉料、(6)弁護士費用、(7)原告松子・同智恵子・同浩一の慰藉料であつて、これはいずれも原告敬善の病状が悪化し、被告会社への復帰の可能性がなくなり被告会社より解雇されるに至つた段階においてはじめて請求し得るものである。)について、被告会社に対し、訴訟を提起してまで、これを請求するようなことは全く考えていなかつたものと云つて差支えなく、また被告会社としても、原告敬善の復帰が可能であるとの前提で事を処理し、とりわけ事故後三年の期間が満了するころも、右復帰が可能であるとの前提のもとに、半年間継続雇用を延長しているのである。

したがつて、原告らとしては、病状悪化のため、右復帰の可能性がないことが確定的となり、被告会社に解雇されるに至つた昭和四七年一月七日の時点において本件訴訟において請求している本件事故による損害を知つたものと解すべく、したがつて、消滅時効は原告ら主張の右の時点から進行するものと解すべきであるところ、しかるに、右時点から本訴提起までは三年間に満たないから被告らの右時効の抗弁は採用できない。

七次に、本件事故は、原告敬善の過失に基づいて発生したものである旨の被告の主張について判断する。

〈証拠〉を総合すれば、本件事故発生直前の本件クレーンの状態を一見すれば、ペンダントロープにベース・ブームが吊られているかどうかわかること、取付ピンを抜き取るにはブームの下に入らなくても抜くことが出来るので、したがつて、普通は、その抜き取りのためには、万一に備えてブームの下に入らないこと、が認められ、右認定に反する原告敬善本人の供述部分は、右各証拠と対比しては措信しない。

右事実に、前記認定の原告敬善が頼まれもしないで、かつ何のことわりもなく他人の仕事に介入して来た事実を併せ考えると、原告敬善は、本件取付ピンを抜き取るには、少なくとも本件ブームについて前述の安全措置がなされているか否かを確めるべきはもとより、本件ブームの中に入らずに、外側から取付ピンを抜き取る等の注意義務があるものといわなければならないにもかかわらず、原告敬善は、右注意義務に違反して、前記認定のとおり、右安全措置がなされているか否か確認もせず、かつブームの中に入つて取付ピンを抜き取つたのであるから、同原告にも相当重大な過失があつたものと云わなければならない。

よつて、原告敬善と田中・秋山の過失についての前記認定事実を比較し考量するならば、原告敬善の過失の割合は田中・秋山の三に対して七と認めるのが相当というべきである。

八最後に損害額につき判断する。

1  原告敬善の損害

(一)  被告会社から退職するまでに得べかりし賃金

原告敬善が、昭和三七年四月、被告会社に雇用された健康な労働者であつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、原告敬善の本件事故発生当時の被告会社における職種は一般技能員であつたこと、同原告は勤務成績は普通であつたが、技術はトップクラスであつたこと、しかるに本件事故による傷害が原因で昭和四七年一月八日付で被告会社を解雇になつたことが認められ、右事実に反する証拠はない。

ところで、〈証拠〉によれば、原告敬善は、昭和四三年七月九日本件事故により前記のような傷害を受け、直ちに豊四季病院に入院した後、その翌日から同年八月八日ころまでは柏外科に、さらに同日東京労災病院に転院して、現在同病院において治療を続けているが、同人は、臀部以下の下半身の肉が落ちたため、下半身が骨と皮ばかりの状態になつて、横臥しているだけで左右の坐骨および踵附近に褥瘡がおこり、その治療および予防のため、これまでに三回当該部分の骨を削つてまるみをつける手術をしたが、いまだに治癒せず、さらに手術を行なう予定である。

また、排尿は腎臓に直接カテーテルを挿入して人工膀胱に蓄尿する方法を取つているため、常にカテーテルおよび人工膀胱の状態に注意を払う必要があり、人工膀胱に溜つた尿は昼間数回、夜間二回程度捨てなければならず、さらに、水分摂取量が少ないと尿が混濁してカテーテルがつまり、発熱や腎炎の原因となるので一日約三〇〇〇CCの水を定期的に飲む必要があるため、夜間も二時間おきに三回起きなければならず、さらに、週二回の腎臓洗浄、二週間に一回の膀胱洗浄および一週一回のカテーテルの交換を行つており、これは生涯続けなければならない。それに、右のような人工排尿の方法を取つているため、車椅子に乗つている場合は、腎臓部が圧迫されてカテーテルの挿入口が痛むし、腎臓に起因する発熱と発作(悪寒)が毎月一回程度の割合で発生するが、それはかなり激しく、一度起ると沈静するまでに二週間ないし一カ月もかかる。

さらに、下半身の運動神経および知覚神経が損傷(脱出)しているので、臍上約4.5センチメートルから下半身が麻痺し、その治癒は全く不可能であり、右麻痺のため佇立が出来ず、身体の移動は車椅子に頼らざるを得ず、排便についても、自排能力が欠損し、浣腸を施したうえ直接指を挿入して排泄するが、これは一回一時間三〇分もかかり、それに、便意も排便の実感もないので、軟便になつたときには、自覚なしに排便の事態が起るので、ベッドの下に防水布と新聞紙を厚く敷き、その上に寝ているよりほかに方法がなく、かかることが三か月に一回位は起り、一回起ると約三カ月間も続き、その間、ベッドに寝たきりの生活を余儀なくされる。

なお、入浴も、下半身麻痺のため自力入浴は困難であり、性生活も生涯不能である。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

右事実からすると、原告敬善の労働能力は全く失なわれ、終生労働に従事して収入を得ることは不可能であることが明らかである。

ところで、原告敬善の本件事故発生時における年令は三四歳であつたことおよび原告会社の定年が五五才であることは〈証拠〉より認められ、右事実によれば、原告敬善は昭和六三年一杯までは右の定年に達しないものと推定される。

また、同原告が、昭和四六年一月一日から同年一二月三一日までの間に被告会社より得た賃金(一時金も含む)総額は、少なくとも一四七万三四八一円であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉ならびに原告敬善の前記の勤務成績・技術・年令等を総合して考えれば、原告敬善が本件事故を原因として被告から解雇されることがなければ、同原告は定年まで引続き被告会社に勤務し、被告会社から少なくとも、同原告の属する職種の中程度の給与を受けたであろうことは容易に推測されるところ、右事実によれば、同原告は被告会社から昭和四七年から同六三年までの間に、別表(一)記載の賃金年額・夏期一時金・年末一時金各欄記載のとおりの賃金を得たであろうと考えられる。

ところで、同原告は、後記のとおり、本件事故により労働者災害補償保険法による保険給付を同表記載の支給された保険金欄記載のとおり給付を受けたから、結局、同原告が本件事故により喪失した得べかりし賃金相当の損害は同表の得べかりし賃金欄記載のとおりであることが認められる。(右給付を受けた保険金を差引く理由は後記のとおりである)。

かくして、右金額について、ホフマン式計算方法により中間利息を控除すると同表記載のとおり金二三六七万二〇三一円となるから、右金員が原告の喪失した得べかりし賃金である。

よつて、原告敬善の前述の過失の程度を斟酌すると、同原告が本件事故によつて被つた逸失利益の損失額は、右金二三六七万二〇三一円の一〇分の三にあたる金七一〇万一六〇九円である。

ところで、原告らは、原告敬善の昭和五〇年以降の得べかりし賃金につき、同人の昭和四九年度の賃金を基準にして、毎月少なくとも右賃金の一〇パーセントのいわゆるベース・アップが確実に見込まれるとして、原告敬善の賃金につき別表(二)記載のとおり得べかりし利益を請求するけれども、将来のベース・アップを加味することは、経済成長政策の転換期にある現在においては、長期間にわたる将来の収入を予測することは困難である。

よつて、確実な基準についての主張立証がない以上、同原告の昭和五〇年度以降五五才に達するまでの得べかりし賃金額は、昭和四九年度の賃金額をもつて算出するほかないものというべきであるから原告らの右主張は排斥を免がれない。

(二)  得べかりし退職金

厚生省昭和四四年発表の第一二回生命表によれば、三四才の男子の平均余命は、37.37年であるから、原告敬善は七一才に達するまで生存するものと予想することができ、そのことならびに同原告が健康であつたことからすれば、同原告は本件事故に遭わなければ満五五才に達する昭和六三年一杯まで被告会社に勤務し稼働することができたであろうと予測し得るし、同原告が昭和三七年四月に被告会社に入社したことは前記の認定のとおりであるから、同原告の定年退職時における勤続年数は二七年であると認めることができ、そして、〈証拠〉によると勤続年数二七年で退職した者の退職金の支給率は退職時の賃金(基本給)月額に35.64を乗じたものであることが認定できるから、原告敬善の退職金を算定するには前述したところよりして、昭和四九年の基本給を基準として計算するを相当とし、同原告の昭和四九年の基本給月額は前記認定のとおり一二万三二二五円であるから、同原告が昭和六三年末まで勤務した場合に得られる退職金の額はこれに右35.64の支給率を乗じた金四三九万一七三九円であるといわなければならない。そして、ホフマン式計算方法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して本件事故当時の価額に引き直すとその金額は二一三万八七七七円となる。したがつて、原告敬善は本件事故により同額の退職金を失つたことになる。そして、前記過失相殺によりその一〇分の三にあたる額を求めると金六四万一六三三円となる。

しかるに、同原告は、昭和四七年一月八日付をもつて退職し、その勤続年数は前記認定の事実から約九年九カ月であることが明らかであり、〈証拠〉によれば、その退職金は五八万九九四二円である。

ところで、〈証拠〉を総合すれば、右退職金は原告敬善に提供したにもかかわらず、同原告が受領を拒絶したので、被告はこれを昭和四七年一月二五日弁済供託したことが認められ、同原告の得べかりし退職金債権のうちから右供託した部分は弁済により消滅したというべきだから、前記得べかりし退職金額から右供託金を差し引いた残額金五万一六九一円が原告敬善の被告会社に有する得べかりし退職金相当の損害賠償債権ということになる。

(なお附言するならば、原告敬善は、別表(二)記載のベース・アップによる本給額を前提として原告敬善の五五才定年時の退職金を計算して請求するけれども、前述の得べかりし賃金に対する判断と同一の理由に右ベース・アップによる本給額を前提とする請求は採用し難く、前認定の限度額の範囲内において認容すべきである。)

(三)  被告会社退職後の得べかりし賃金

以上認定の原告敬善の年令・職業・健康状態等を考慮すると、同原告は、少なくとも満五五歳の定年後も、満六六才に至るまでの一一年間にわたり稼働することが可能であつたと認めうべく、〈証拠〉によれば、昭和四八年度における満五五才から六五才までの男子の平均年令別給与総額は、別表(三)のとおりであるから、同原告も本件事故に遭わなければ同表賃金年額欄記載の賃金を得たであろうことが認められるから、その逸失利益を算出(ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して)すると、その金額は同表の本件事故当時の価額欄記載の合計金六六一万一六一一円であることが計算上明らかである。そして、前記過失相殺によりその一〇分の三にあたる額を求めると金一九八万三四八三円となる。

(四)  附添看護費用

原告敬善は、退院後の附添費用相当の損害賠償を求めているので、この点について検討する。

〈証拠〉によれば、原告敬善は昭和五〇年四月一日には退院することが認められる。

ところで、右証拠によれば、原告敬善が歩行器によつて歩行することができることが認められ、また同原告が上半身に障害が残つていないことは当裁判所に顕著な事実であるから、特殊な椅子を用いれば、食卓について自分で食事をすることができると認められるが、前記認定の同原告の障害の程度からすれば、用便については洋式便器を用いても他人の介助なしには困難であろうと思われ、また、着衣もズボン・パンツ類の脱着は他人の介助なしには不可能であろうし、洗顔も不自由であろう。そうすると、同原告は、終生他人の介助なしには生活することができないであろうが、しかし右の程度の介助は原告松子が家事労働等の合間にすることができると考えられ、原告敬善の介助に専従する者を必要とするとは到底認め難い。

そして、右の家事労働等の合間にする介助を必要とする損害については、昭和四三年における附添費用が一日一、二〇〇円であることは公知の事実であるが、これらの事実およびその他諸般の事情を考慮して年額一〇万円と認めるのが相当であり、その介助を要する期間は、前記認定の原告敬善の退院の時期ならびに平均余命からいつて、昭和五〇年から同八〇年までの三〇年間と認めるのが相当であるから、右一〇万円に三七年間の復式ホフマン係数20.62から七年の同様の係数0.740を差し引いた19.88を乗ずると一九八万八〇〇〇円となり、これが同原告の介助により被る損害の昭和四三年当時の価額であると認めることができる。

そして、前記過失相殺により、その一〇分の三にあたる額を求めると金五九万六四〇〇円となる。

(五)  慰藉料

これまで認定した事実によれば、原告敬善が著しい精神的・肉体的苦痛を受け、また今後も後遺障害により多大の精神的苦痛を味わうであろうことは明白であり、同原告の年令・職業・家庭内の立場、受傷の程度、本件事故における同人の過失等上記認定の諸事情に本件に顕われた一切の事情を斟酌し、同原告に対する慰藉料は金二〇〇万円をもつて相当と認める。

(六) 損益相殺

被告は、原告敬善が、すでに受領し、又は将来受領すべき労災保険金は本件損害額から差引くべきだと主張するので判断するに、〈証拠〉によれば、原告敬善が別表(一)記載の支給された保険金欄記載のとおり(ただし、昭和四九年八月から同五〇年一月分までは推定)労災保険金を受けたことが認められ、右金員は前述のとおり同人の損害額から差引くべきだと考える。しかし、将来受けるべき給付については差引くべきではないと解する。

すなわち、原告敬善が第三者の不法行為により、第三者に対して損害賠償請求権を取得するとともに、同一の事由により、将来労災保険金の給付を受給することが確定した場合であつても、第三者に対する右損害賠償請求権を行使することを妨げられるいわれはない。

労災保険受給権者が国から保険給付を受けた場合、その給付の価額の限度において、受給者が第三者に対して有する損害賠償請求権は国に移転するから、保険受給権者は第三者に対し、もはや右価額の限度で損害賠償請求権を行使することはできない。

以上の両者の関係は、相互補完の関係に立ち、被害者の保護を全うするとともに、二重の填補を排除することにより、損失補償の公正を期しているものといえる。したがつて、国が第三者に対する損害賠償請求権を取得し、保険受給権者において損害賠償請求権を行使することができなくなるのは、国が現実に保険給付をして保険受給権者の損害の填補をなした場合に限られると解すべきである。そうだとすると、本件の場合のように、将来にわたつて保険金給付を受給することが確定しているとしても、これをもつて、損害を填補すべき現実の保険給付を受けたということはできないから、国が損害賠償請求権を取得することも、また、保険受給権者の第三者に対する損害賠償請求権が消滅することもないから、将来の給付額を損益相殺として損害額から控除することはできず、被告の右主張は失当である。

(七)  弁護士費用

以上によると、原告敬善は被告に対し、これまで認定判断した事実に基づき、合計一一七三万三一八三円の損害賠償請求権を有するところ、後記のとおり弁済を受けた内金六〇〇万円を差引いた残額五七三万三一八三円について被告が任意に支払わないため、本訴を提起したものであり、本訴の提起およびその追行を弁護士斉藤義雄・同佐々木恭三に委任し、日本弁護士連合会報酬等基準規定によつて手数料および謝金を支払うことを約束したことが認められ、本件訴訟の難易・請求認容額その他一切の事情を勘案すると、同原告が右弁護士らに支払うべき弁護士費用中、本件事故による損害として被告に賠償を求め得る金額は金六〇万円と認めるのが相当である。

2  原告松子・同智恵子・同浩一の慰藉料

前記の認定事実によると、原告敬善は再起不能の重傷を受け、終生他人の介助を必要とする廃人同様の身となつたのであるから、その妻である原告松子・長女である同智恵子、長男である同浩一は、原告敬善が死亡した場合に比肩し又はそれに著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けたことは推認するに難くない。

ところで、民法第七〇九条ないし第七一一条の解釈上近親者の身体傷害により精神上の苦痛を受けた者は自己の権利として慰藉料請求できるか否かについては争いの存するところであるが、本件原告敬善のように、前記のような重大な傷害を受けた場合には、その近親者は直接の被害者として民法第七〇九条、第七一〇条によりその慰藉料請求を認めうべく、同法第七一一条は近親者の精神的苦痛の特に著しい場合を例示したものと解するのが相当である。

してみれば、右原告らの苦痛を慰藉するには、原告松子につき五〇万円、同智恵子・同浩一につき各一〇万円をもつて相当と認める。

九なお、原告は前述のとおり、被告の抗弁の提出について異議を申立てたが、本件訴訟の経過に鑑みれば、被告の異議の対象とされた前述の抗弁の提出によつて、本件訴訟の完結が遅延するとは到底認められないから、原告の右異議は却下を免がれない。

一〇以上説示のとおり、被告は、原告敬善に対し金一二三三万三一八三円の損害賠償金を支払う義務があるというべきところ、内金六〇〇万円については、すでに弁済を受けたことは原告敬善の自認するところであるから、同金額を差引いた残金六三三万三一八三円、原告松子に対し金五〇万円、原告智恵子・同浩一に対し各金一〇万円の各損害賠償金ならびに右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四七年五月二五日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの請求は、右の限度で正当として認容すべきであるが、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条・第九二条・第九三条を、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(藤原康志 大澤厳 永吉盛雄)

別表(一)、(二)、(三)、図面〈省略〉

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